パソコンの中にメモしていた言葉をコピペしてみる。
「ただ満ち足りていることと、ニーズを満たした満足の違い。
それは時間。時間に縛られていないか、縛られているかの違い。」
って、打ち込まれてた。
最近なんか不満だなぁ、なんか楽しいことしたいなぁ。
なんか現状を変えたいなぁって思うようになった。
満足を求めてって感じで。
この世は有限だけど、欲望に限度はないようだ。
夜は肌寒い今日この頃、いかがお過ごしですか?
今年もあと2か月でおしまいですね。
いま、コタツに入ってぬくぬくしてます。
ずっとコタツに入ったままってことはない。
出たり入ったり。入ったり出たり。
人生も同じようなもの。人生に入ったり出たり。
呼吸と同じようなもの。呼吸が出たり入ったり。
私たち自身が生命。いのち。
今月に入ってすぐ、不注意で右足の薬指を柱にぶつけてしまった。
3日で治るかと思ったら、内出血が思ったよりひどい。
今はほぼ治りつつあるが、完治にはもうちょいかかるらしい。
不注意がキーワード、そんな今月でした。
この世は陰陽で成り立っている。陰陽で循環している。
陰陽は対立しているように見えるが実は対立していない。
実は補い合っている。
陰だけでは成り立たない。陽だけでは成り立たない。
陰が極まれば陽になる。陽が極まれば陰なる。
陰陽でひとつ。
心機一転ではありませんが、ブログのタイトル変更いたします。
「すぎとぉず ぶろぐ」から「あずき色のブログ」に。
あずき色ってどんな色。小豆という豆の色。
赤紫色に茶色がかかった色。
赤は情熱で意志が強い、茶は大地にどっしり、紫は癒しでくつろぎ。
それなのにあずき色には、不安定さ不確定さが感じられる。
不安定というと悪いイメージあつかいされるけど、
ただ安定してないというだけだと思う。
あずき色のなかで赤が強かったり紫が主だったり茶が表だったりで、
その時その時で変化している。
変化という不安定さを受け入れると、本当の安定さもついてくる。
先月だったか、ある小説の文庫本を読む。
その本には「リツゼン」っていう鍛錬法が紹介されている。
漢字で「立禅」と書いて「立って行う禅」のことだと。
「中国拳法のある流派から始まった鍛錬法の一つだと。
姿勢としてはこうやるらしい。
「肩幅に足を開いてやや内股で立ち、股関節とひざを少し曲げて、
ほんの少し、かかとを浮かせたよう。両手は顔の高さにあり、
大きな球体を抱えるような姿勢。両手の指先は開いて、
柳の枝のように下がっている。」
この姿勢のまま30分でも60分でも立ちっぱなしらしい。
つまりこの姿勢で無理せず立っていられたらいいらしい。
*文庫本「ひかりの魔女」著者「山本甲士」
動いているものは認識しやすい。形が現れては消えていくものとして認識しやすい。
しかし、動きの中に動かず静止しているものは認識されにくい。
たとえば台風の目。その目の部分には動きはない。台風の目の外側は暴風がすごい。
つまり、私たちはみんな現象に囚われすぎるんだ。現象は外側なんだ。
現象の中心は何も現れていなく静かだということを簡単に忘れてしまう。
忘れてしまうから、動いていく人生に悩みながら生きている。
遅まきながら新年のご挨拶いたします
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします!
今年に入って、ある夢を見た。
寝起き前の夢の終わりが、こんな感じだった。
私はマットに寝転んでマッサージを受けていた。
くつろいでいたところに、
突然、二人の若い女性が現れて、
漫才風に、
女その1「聞いてください」
女その2 「聞いてください」
私「聞く気ないんだがぁ」
間髪入れずに答えたら、
二人とも布団の上にずっこけてた。
ええ~って言いながら。
思いくそ人の話を聞きたくない本音が現れてた夢だったね。
私、難聴なんです。てへ。
現実は、自分の内なる声が聴きたいんだよね。
でもね。実際は変化の流れの中で見失ってしまう。
その時に他人の声の中に自分の声はないかぁって、
探してしまうが、ヒントだけでもね。
世の中の流れの中で、本当の自分の声も変化している。
古い自分は一瞬一瞬消え去ってるよね。
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