芸術は瞑想だ。
もし、あなたが瞑想のなかに、かき消えていたら、
どんな活動でも瞑想になる。
だから、テクニシャンのままでいてはいけない。
もし、あなたがただのテクニシャンだったら、
絵を描くことは、けっして瞑想にならない。
あなたは完全に失われ、自分がどこに向かっているのかも知らずに、
自分が何をしているのかも知らずに、自分が誰なのかも知らずに、
狂ったようにそのなかに、気違いのようにそのなかに
入り込まなければならない。
この知らないという状態が瞑想をもたらす。
OSHO「Don't Just Do Something, Sit There !」
すべての芸術は、客観芸術かあるいは主観芸術かで、説明がつく。
主観芸術はどこにでも見られる。
それは、あなたのフィーリングから、あなたのハートから、
あなたの精神から、絵となって、詩となって、音楽となって出てくる。
だが、客観芸術は、あなたのハートの虚空から出てくる。
あなたは、まさに一本の笛、中空の竹になり、
そのあなたを通して、宇宙が歌う。
OSHO「Nansen : The Point of Departure, #9」
何を創造していても、
彫刻家であろうと、大工であろうと、画家であろうと、
詩人、歌手、音楽家であろうと、
憶えておかなければならないのは、
それが、あなたの内側の沈黙から出てきているということ、
それには、起こるがままの自発性があるということだ。
それは、前もってアレンジされたもの、
前もってプログラムされたもの、前もって考えられたものではない。
何かを創造していると、
あなたは、絶えず自分自身に驚くことになる。
あなたは、自分を存在の手にゆだねたのだ。
OSHO「The Razor's Edge, #22」
まず瞑想、そのあとは瞑想から出ても、
そこには、自然に起こるがままの創造性がある。
今のところ、あなたは、創造性のどの領域が、
スピリチュアルな成長のための自分の潜在能力を、
引き出すことができるのかさえ分からない。
絵を描く? 誰もが画家ではない。
詩を書くかね? 誰もが詩人というわけではない。
音楽を演奏する? 誰もが音楽家ではない。
その混乱のなかで、あなたはどうやって選ぶつもりかね?
だが、もしあなたが瞑想を通して沈黙したら、完全に沈黙したら
突然あなたは何かを創造したい、ひとりの音楽家になりたいという、
途方もない衝動を感じる。それは自然にやってくる!
OSHO「From Bondage to Freedom, #1」
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