作者の紹介:樋口虚舟

2013/11/28

あーとぴょんは、OSHOアートのシルクスクリーン版画を知ってもらって、よければ買ってもらおうと始めた実際店舗なしの、お店です。

 

OSHOの版画には、何の自己表現もありません。なので、どのように説明したらいいのだろうと考えたすえ、OSHOのサニヤシンたちの作品も扱おうと思ったんです。とにかく、私にとって、その当時出会って身近に感じた人たちのものだけにしました。

 

OSHOのサニヤシン(OSHOの弟子、あるいはOSHOの仲間)は、OSHOという存在をとおして、それぞれ自分の内なる存在に気づき、それと一つに、それと一体になろうと、絶えず、働きかけつづけているところがあります。

 

そういう意味あいで、サニヤシンたちには、それぞれみなOSHOの香りがあります。ものすご〜く多様で、さまざまなんです。こちらの紹介は、ほんの数人ですけどね。

 

 


樋口虚舟

虚鐸拈華(虚舟銘)
虚鐸拈華(虚舟銘)

2005/05/24

虚鐸(きょたく)の製管士の紹介。

樋口虚舟(ひぐちこしゅう)師

1951年1月生まれ。大分県在住。

 

虚鐸創始者の西村虚空師に虚鐸を学ぶ。

師範免許狂竹庵を取得のあと、

大分県玖珠町に「狂竹庵虚鐸玖珠道場」を開く。

虚鐸の製管のほか、

虚鐸を吹く指導にもあたっています。

 

日本では、杉林にくらべ、竹林は少ないように思えるのですが、実際はどうなのか知りません。竹がいっぱい生えていたとしても、虚鐸の笛として使われる竹を探すのは今日(こんにち)では大変なんだそうです。虚鐸になる良い竹は少ないということですね。その少ない竹から創られる虚鐸はいろんな行程をへて、3~5年でできあがります。 

 

虚鐸吹禅(虚舟銘)
虚鐸吹禅(虚舟銘)

 

 

 

 

 

 

 

2005/12/08

虚鐸の吹禅(きょたくのすいぜん)

    竹名のない虚鐸

 

横の画像は、虚舟の焼き印がある吹禅です。虚鐸の一番大事な部分は、歌口のエッジ。このエッジ部分は大変薄く、壊れやすいので、ここの扱いは注意が必要です。エッジの部分こそ音の発音の重要な場所でもあるからです。

吹禅 正面
吹禅 正面

右の笛の画像の一番上のところ、歌口のエッジが見えますよ。この画像、拡大できないので、ごめんなさい。私自身、虚鐸を吹いたことがないので、虚鐸を販売しているとはいえ、説明不足のままで終わっているのは、確か。ここは、私も虚鐸を吹くことにしましょうか。

まずは、小さいメモ用紙の紙を1枚使って、これをエッジだと思って、練習してみました。紙を両手の親指と一差し指ではさみ、両指ではさんだ間に口を近づけて、息を吹きかけてみました。音が出る場所を探す、ちょうど、紙の真ん中あたりを吹けば、どうやら音が出るとわかりました。ピー、プー。一度吹けたら、ずっと吹けるかというと、また吹けなくなって、そう簡単にコツは身につかないようです。まぁ、気長にやりましょう。この練習は、相棒に教えてもらいました。

 

おまけ

その後、練習は、つづいてません。あしからず。

吹禅 裏面
吹禅 裏面

2013/12/07

名前をもたない吹禅という虚鐸は、以前、ただ練習管と呼ばれてたような。本格的な演奏で使われる、先っぽの節が豪快な本管である名前がつく虚鐸は、制作工程が何カ所かあるらしく、とても、真剣に作られています。そして、虚鐸の練習のために使われている練習管も、本管と同じく、やはり真剣に作られています。

 

練習管だから雑に作られている、と思われるのがいやなので、名前をつけない虚鐸のことを、練習管ではなく吹禅(すいぜん)と呼びたい。そういうことで、吹禅という名前がついた。あれ〜、名前がないはずなんだけど。まぁ、公演演奏ではなく、その準備のための虚鐸のことで、よろしいかと。ですよね。

 

それから、歌口のエッジは、シカの角でできてるって、聞いたよとのこと。私は、また聞きですが。


西村虚空(樋口虚舟の師匠)

CD虚鐸(表面)
CD虚鐸(表面)

 

 

 

 

2005/08/03 

西村虚空(にしむらこくう)師

1915年 熊本市に生まれる。

1940年 東京美術学校(現芸大)彫刻科卒。

2002年 87才で亡くなる。

彫刻家、日本画家。

虚鐸創作、製管、宗家創建。

CD虚鐸(裏面)
CD虚鐸(裏面)

気持ちを落ちつかせるためには、高い音より、低い音こそ必要。そういう意味で、西村虚空師は、虚鐸を三尺二寸(97センチ)まで、長いものにしてしまった。長ければ長いほど、虚鐸の音は低くなっていく。

 

この竹の低い音から、本来の落ちついた存在が現れるだろう。音と音の合間に、無音の静けさ。